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ことしはもう10月、いつのまにやらという感じで。昨年に続いて二軍の野球観戦だけやって、一軍にはついに行かなかったという。だんだん当方も高齢化しているのは致し方ないわけで。 さて、天皇も自身より年下となってまもなく半年になりますが、プロ野球のほうも東京ヤクルトの小川監督が実は私と同期なんですが、このほど勇退されてついに自分より年上の監督というのもいなくなる(原辰徳が最年長)わけで、べつに誰がどうなろうがいいのですが、この小川監督というのが面識はないけれど、いまでも思い出すのは夏の高校野球で最後に決勝戦で残った、優勝した習志野高校の一員だった時のこと。小川選手個人のことなど内容はまるで記憶にはありませんが、まぎれもなく私はその決勝戦の中継を見ていたという事実だけは記憶にあり、というのは当時私は予備校に毎日通っていた受験生、同期で甲子園にいる人たちとは逆に真っ暗な青春でした(笑)。決勝戦は予備校に通ってたから当然見られないと思ったら、雨天順延が二日も続いて日曜日になったので、さすがのうるさい教育ママもまあ息抜きぐらいしてというところで、同期の人たちの最後の戦いを見届けられたのも神様に感謝か。つい3年前は自分より年上の人たちばかりの舞台だったのに。これで来年から年下だけになるわけか、そもそも高校生になる以前はほとんど高校野球には関心を持ってなかったけれど、同期の者が活躍するのならという程度で。小さいときから、まあ私のような音楽は得意でも体育が苦手な者にとっては野球選手になりたいなんて夢は一切ありませんでしたが、甲子園に出てプレーしたいという夢は長くても18年までしか持てないから、勿論実現させるにはまず勉強しなければ競争率の高い強豪校には入れないしレギュラーになるのも狭き門だが、予選に出場して一年目、敗れたけどまだ二年夢がある。その二年目、敗れた。まだもう一年が、だがその三年目で敗れるともう夢をあきらめなければなるわけで、そうした同期の人たちの夢の分を背負って最後の戦いに臨んでいた、ヤクルトで現役だった時に満塁本塁打を見たことがあった、ただし試合は逆転負けした、対広島戦だったか。彼の長年の野球人生もこれで幕となるかはわからないが、長年お疲れさまと申し上げたいです。
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