四季・旅・愛〜芹洋子ファンサイト  

国民宿舎 青野山荘より津和野城址を望む

■津和野 「津和野にひとり」


白壁の掘り割りにあやめ咲く街、乙女峠に濡れそぼつマリア聖堂、殿町の掘りに群れて棲む錦鯉・・・。
「津和野にひとり」、ちょっと歌謡曲っぽい曲調のこの曲で初めて「津和野」という変わった名前の街を知りました。未だ見ぬ景観に惹かれてとうとうここまでやってきました。
歌詞の中に「旅の手引きにひかされて」やってきたとありますが、まさしくつばめは「よっこおねえさんの歌に引かされて」やってきました。



さて1978年の夏休み、つばめと悪友は大きな旅の計画を実行に移しました。山陰・山陽を巡る旅です。
鳥取砂丘では灼熱の砂地で暴走族と抗争寸前までいきましたが(そんなオーバーな)そのあともつばめ・T・Fの3人は元気いっぱい。(^^;)自棄かな?

1978年8月2日、鳥取を出発、少し内陸に入り大山を登りしばし高地の爽やかな空気を満喫したあとは米子市で国道9号線に合流。そこは相変わらず灼熱地獄です。
宍道湖の北を通り過ぎ出雲市で出雲大社を見学しました。
そして待ちに待った最初の宿、国引き荘に到着。冷房の効いた館内から試しに窓を開けると、外から熱風が
・・・。

この日の鳥取地方は気温40度を記録、戦後観測史上最高の気温だったとか。


翌3日は一転して台風の通過日になりました。
ガラガラの道路を我々の日産チェリーF-2 1200DXだけが国道9号線を西進。
豪雨で窓ガラスから前がほとんど見えないような状態。前を走る車の車幅灯の後を付いて走るしかないほどでした。
台風一過、益田市から内陸に向け国道9号線を走っていると前を行くのは、あのCVCCを積んだホンダ・アコード1800EX-L。後ろは憧れのDOHCエンジンのトヨタ・カリーナ2000GT!
三台とも道が空いていることを良いことに、一寸早めのお急ぎ走行。(^^;)
しかし遙か後方から我々三台を上回るスピードで近づく一台の車が。そのホンダシビックはアッと今に我々を抜いて遙か彼方に走り去りました。あの人は今も生きてるでしょうか?「お〜い、その車絶対スピード違反だよね〜??」



島根と山口の県境に近いその街は「山陰の小京都」とも呼ばれる青野山の麓に拡がる街でした。
明治の文豪、森鴎外が出たところで、郷土舞踊「鷺舞」を見ることの出来る街でもあります。
今回の山陰・山陽の旅はこの街を見るために来たようなものでした。

国民宿舎に荷物を置いて、早速街を歩きました。なんとあの白壁の裏が駐車場になっていようとは、旅のロマンが5パーセントほどちぢみました。(^^;)

その後も近代的な駅、森鴎外の生家、墓所を見学し津和野城址、「津和野にひとり」に出てくるマリア聖堂も見学をしました。

あわただしく、ハプニング続き(Tは喜んでますが)の山陰・山陽の行程で一時の静かな時間をくれたのが、この津和野の街でした。



さてこの後もさらに旅は続きます。
萩に入り、松下村塾では一転Tが幕末の志士、吉田松陰先生に日々の悪行を懺悔?

上左は萩の東光寺を参拝する友人Tの後ろ姿。右はTの心の師、吉田松陰先生ゆかりの松下村塾。
萩の反射炉、笠山を見学の後、宿の問題でTとFが一触即発の仁義無き戦いに!?

秋吉台ではTがついに本領を発揮!女の子としばし同一行動。ついに犯罪者になったかTよ!?

上左は秋吉台の有名な鍾乳洞のなかの景観。そして右は問題のお友達になった広島の女の子二人組。能瀬慶○さん似の左の子と、○ンクレディのケイちゃん似の右の子。(いちいち例えで時代がわかりますね。)(^^;)
さらに本州最西端の国民宿舎に到着、前日の遺恨からか、とうとうTとFは別行動に。
その翌日、国民宿舎の美人のお姉さんのことで意見が合ったらしく仲直り。なんというか、困った人たちです。
尾道を通り、芹洋子さんの歌「花ぐるま」の舞台、広島が迫ってきていました。