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ニュースな芹洋子さんこちらのコーナーでは、新聞・雑誌などの活字媒体で取り上げられた芹洋子さんの記事をご紹介します。この記事に際してるんるんさんから多くの資料を参照させていただきました。 各記事については出展を明らかにし、内容を要約しご紹介するに留めました。
■『グラフN○K』昭和46年5月1日号 毎度取り上げております、N○K様の広報誌です。午後6時台の子供番組特集の一つに「歌はともだち」が紹介されています。「”出ていらっしゃい”と司会の芹洋子が声をかけるとステージに客席から集まった子供達であふれてしまい」「歌う司会者としておなじみ芹洋子さんは『心を開いておもいきり歌う楽しさは格別』と番組に打ち込んでいる。」
芹さんとボニージャックスさんを拡大。珍しいパンツルックにブーツ姿の芹洋子さん。
■『朝○新聞』昭和50年1月6日 F○東京「ステレオ歌謡バラエティー」の生放送n取材。「男性ファンがガラス越しに応援。『愛の国から幸福へ』のヒットで『まわりの人が急にとっても親切になったみたい、でもあまえちゃいけないな。あまり欲張らないでこれまでどおりステージ活動を中心にやります。もう一回海外の音楽祭に出て優勝したいな』」そうそう!ぜひまたがんばりましょうよ。
■『読○新聞』昭和51年5月23日(日) 芹さんの中学・高校時代の素人喉自慢への出演歴から、デビューのころ、N○K「歌はともだち」のプロデューサー土居啓子さんの言葉も紹介し、かなり丹念な記事になっています。「『歌はともだち』の司会に選ばれたとき元気だったお母さんがテレビでの晴れ姿を見ることなく亡くなった」土居さんは「気が強い、小憎らしいくらいに。でも私が妊娠したときに水天宮の腹帯を送ってくれた、私も憎らしい女だからわざと笑顔を見せなかった。今でも当時のスタッフはどこにいても彼女の番組は必ず見ている、そんな子なんです。」か、感動・・・。
■『読○新聞』昭和56年7月1日(水) 「四季の歌」が中国で大ヒット、日本のヒットは5年前。「N○Kの中国向け国際放送でオンエアされたのがきっかけ。『うたが自分の知らないところで一人歩きしていたことにびっくりしています。どこかでひっそりと息づいていた歌を取り上げるのがライフワークです。』」当時から現在のスタンスが確立されていたのですね。
■『朝○旅行』2006年 初秋号 「坊がつる讃歌」の誕生の地でのコンサートをお知らせする記事です。
■『読○新聞』2005年5月21日(金) 「歌手の芹洋子さんの歌う『鈴の音山河』のCDを求める声が事務所に寄せられ始めたのは2〜3年前から。ところが芹さん自身にもこの曲は記憶が無かった。それもそのはずでこの曲は1978年に歌ってテープに入れた委託盤だった。CDは今年リリースされ17年前の声が最新盤として発売されました。」 奇跡の曲「鈴の音山河」のCD化の顛末が事細かに紹介されています。
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