四季・旅・愛〜芹洋子ファンサイト  

ヒラノエクスプレス〜特解国道

  さて、このページは掲示板の常連さんヒラノエクスプレスさんが(株)デアゴスティーニ・ジャパンから隔週刊
で出ている『CD付きマガジン 日本のうた こころの歌』で取り上げられている「明日へ残したい」抒情歌、童
謡の数々を独自の切り口で解説してゆきます。このHPの掲示板にご本人が書き込んだ記事を、管理人のつ
ばめが監修しました。
 ヒラノエクスプレスさんは2004年から新宿カールモールのライブで抒情歌の独自の解釈を披露中。

 『日本のうた こころの歌』を監修しておられるのは田中修二さんで、氏は1000曲以上の童謡・唱歌
抒情歌のピアノ譜を暗譜、高島屋カルチャー教室講師、そして芹洋子さんのバンド・スタッフとしても活躍中。

 また、各項目の号数は掲示板に残っていた記事だけを載せていますので、初期の頃の号数ははありません。
号数のあとの「〜国道」とはヒラノエクスプレスさんが独自で付けた題名で、『日本のうた こころの歌』の冊子
の内容とは関係ありません。
 『日本のうた こころの歌』の田中修二さんの「表」解説とともに、このヒラノエクスプレスさんの「裏」解説を
一緒に読めば無敵のライナー・ノートになること請け合いです。

23号 参宮国道
庭の千草

季節を混同して我が国に広まってしまったという感があり、昔、ソノラマにあったのですがシートが破れてかけられなくなってしまい(自分が幼時にいたずらしたためなのだが)、その後ラジオなどでも聴かれたりはしました。

月見草 その昔の家にあったSPレコードで「この道」と表裏で、たしか日本コロムビアだったか、「この道」が男声で「月見草」は女声のいずれも独唱でオーケストラ編曲によるものでした。今回、児童合唱団にはちょっと難しいような。こちらはそのレコード以外に一度もよそで聴いたことがなかったので、もっとも楽譜の所蔵はしていましたが。同じ題名で第三高校の寮歌にもあります。悲しい話に明るい旋律がついています。月見山は…それは山陽電鉄で。
お月夜 伴奏付の楽譜を所蔵していましたが、初めて聴きました。藤田圭雄先生の「日本童謡史」といえば、本居長世の「お月さん」「つくしんぼ」もその一環で新たに眞理ヨシコ先生のレコーディングがされていましたね。
兎のダンス 一時聞かれなくなっていたが、最近のダンスブームで復活してきたようですね。兎はどちらかといえば北原白秋に多く、野口雨情の場合は狐や狸、イタチ、ねずみなど悪役の動物を引きたてることが多いので、兎を呼んだのは珍しいほうといえます。
秋の月 私所蔵の瀧廉太郎の作品を集めたCDに合唱と独唱で別の録音があります。
笛吹童子 最初の放送の頃は私は勿論生まれていませんでした。昭和40年代に、これをテレビジョンでリバイバルした時に母が主題歌を聴いて涙が出るほど懐かしがっていたのを思い起こします。ところが放送二、三回めかに新しい主題歌と差し換えられたら母の怒ったこと。
ケンタッキー 州歌になっていたとは知りませんでした。アメリカ50州の州歌を集めたCDというのもどこかで発売してくれるといいですね。
24号 京奈和国道
冬の星座 「他郷の月」という歌詞で新録音が出て欲しい。そういえば、「昴」のイントロはこの歌をベースにしているのではというそのへんあたりをご存知ないものか。
村の鍛冶屋 兵庫県三木市に碑があり、作詞者が南能衛であることが判明しています。そこは第三セクターになったもと国鉄三木線が通じていますが、かたや同時期に廃止対象になって沿線に団地を造成するからといって廃止を延期したために第三セクターの引き手がなく、結局廃止になった鍛冶屋線というのがすぐ近くの西脇市から出ていたし、西脇市が野村という駅名だったので、「野村−鍛冶屋」という替歌もあったり(しばしば休んで事故ばっかり起こし/飛び散る火花は走る赤字/合理化の風には素直になびく/仕事を怠ける野村−鍛冶屋/あるじは悪名高い運輸のオヤジ/遅起き早寝のほとんどビョーキ/鉄道よりクルマだと誇れる腕で/打ち出す廃線案に心こもる)。1990年4月に廃線になりました。
温泉町から 度々本居長世の埋もれた曲を入れてくれるのがうれしいけど、もっといろんな人に新録音していただきたいものですね。結局、舞台はどこかわからず、まあいちばん有力なのはやはり箱根登山鉄道で箱根板橋という駅もあるし。ただし、歌が作られた頃にまだ小田急線は出現しておらず、国府津が始発だったけれど酒匂川を渡る橋も路面上だったから、鉄橋はないはずだが…やっぱり架空で作られたんだろうな。ほかにも電車の通じていた温泉町は当時全国にいくつかあったけれど。
スキーの歌 当方には昔からフォーコインズの吹きこみ1つだけで、ほかに聞いたことはありませんでしたが、「我」という言葉が入っているので自己を確立している。團伊玖麿先生もその点だけを讃美していたような。群馬県はほかに石原和三郎や井上武士など唱歌王国か。
次のわらいかわせみは、そう、山野さと子さんがアクが強いとかねてから言っていたのはこれなんで、すでに所蔵している中田喜直先生の曲を集めたCDと同一ですが。
ソルヴェイグの歌 勿論、ペール・ギュントのほうでずっと聴いてきた。シベリウスのフィンランドとともに、ノルウェーは一度行きたい(絶対に列車で)国です。
白い思い出 受験生の時に、合格した大学もあればもっとそっちへ行きたかったのに落ちた大学もあって、受験生活が終わった時に散歩に外出していた時、実際に一瞬降ってきてすぐ消えた雪のことを思い出しました。
25号 名阪キセル国道
ペチカ 前日のカール・モールライブでも演奏した「クリスマスの晩」と本居長世の「雪の降る晩」、草川信の「吹雪の晩」、と並ぶ白秋の冬の夜の歌。3番の「じき来ます」が「もうじき春よ」・・・けっこうみんな気まぐれだと思いつつ、確かにこの歌でみんな知りました。三匹の子豚で狼さんが入ったのも・・・。まあペィチカ、ペーチカどれが本当か外国語の場合は微妙でしょうね。
木の葉 えっ!「きのは」だったの?「○年生のおんがく」というのは、実は私が一年生の時に最後だったので、ちょうどニアミスだったわけですが、今回初めてレコード類で聴き、親も知らない歌だったのですが、唯一、幼稚園の時に正担任の先生が一時病気で代打の先生によってちょうどその季節時にオルガンで歌っていたという、少しおばはんの怖い先生でしたが、その先生を思い出させる唯一の歌です。文部省はよほど教育漢字の音訓表にない読み方を嫌ったのか。それなら木立もキダチ?手綱はテヅナか。
みぞれ これは、藤田圭雄が監修した全集を出す時に急遽レコーディングしていたものだな。図書館で聴いたことがあります。山形交通高畠線というと懐かしい…といっても、初めて私が山形に旅した時はすでになかったのですが、今度斎藤茂吉とともに記念館へ、山形交通バスのフリー乗車券でぜひ訪れたいです。
わらの中の七面鳥 これも、歌詞で聴いたのは初めてでした。続く2つのクリスマスソング、うーん、「みははのむねに」のほうでなじみがあるんですよね。「いとやすく」も元は「ゆめやすく」だったし。
雪山讃歌

これで思い出すのが、実は私の世代でないとわからない話ですが、私と同期の人で主演していたドラマ「チャコちゃん」、そう、あのかわいげない女の子…っていったって、小学生のレベルで見ると男の子は女の子に対してあんましかわいいとか、だから好きというような意識も未発達だったから、さすがに数年後のCMではきれいになったと思わせられたが(「さすがに」もひっかかる?)…その話に出てくる年上の男の子が引っ越すというので、プレゼントにレコードを買って渡したのがこの曲。チャコちゃんは何人男の子に恋して別れたのか、統計とっている人もいたりして、いわゆるマセた人で主題歌も妙に歌謡曲ふうだったし。もしかして「女子小学生版寅さん」だったのではと。

26号 南海国道   「修二国道」としたかったんですけどね。とりあえず、来週の日曜にはまたお目にかかること              になるので。
ともしび なるほど、先日実は軍歌について二人で盛り上がりかかるところだったのですが、実際には日本でいわゆる軍歌と呼ばれた多くの曲も決して戦意昂揚ではなく、戦争とはかくもむごいものであることを世に知らしめるためのものであって、「可愛いスウちゃん」「討匪行」など、また昭和40年代のフォークソングでは反戦歌と呼ばれたりした曲も多かったのですが、それらとも相通じますね。もし、ライブを1日やれるのなら軍歌の特集も組んでみたいし、その際には最後のアンコールで「里の秋」をやって締めてもおかしくないと思います。
モスクワ郊外の夕べ 大学時代の後輩で新入歓迎会の際に一人ずつ芸をやらせた時、この歌を披露したのがいてひときわ注目を浴びたりしていました。「東京近郊の夕べ」ではやはり絵にならない?
冬の夜のおはなし これは作詞作曲者名もともに初めて聞きました。私の幼児期にも熊のぬいぐるみはあったのですが…。
ベートーベンの第九 日本語の作詞者が実は珍しく同じ大学出身者で、この人は特別ほかに大したこともやっていなかったのですが、しっかり後世に残りますね。日本で第九が最初に演奏されたのは徳島県で鳴門の近くにドイツ館がありますが、そういえば最後に盛り上がるところは阿波踊りの「エライやっちゃ」によく似た旋律の流れになってますし。
ふじの山 作詞者が滋賀県出身というと、では本当は地元の近江富士(三上山)を歌ったのではないかということになりそうですね。ちなみに、滋賀県でいちばん高い山ではないので、地元出身の大相撲力士で引退後タレントとなり、早世した蔵間はその事由で四股名に使わず、本名で取り続けたとか。
お江戸日本橋 だから、教科書に抜粋して掲載するやり方は意義が薄くなるもの。宿場を言葉に引っ掛けたこの歌と同系統なのが「恋の山手線」ですね。鉄道唱歌のいちおう走りでもありますが。
一月一日 には「東海の始めは東京駅/尾張名古屋は中間駅/まつかぜ走った山陰線/始発京都が懐かしい/一番ひかりが発車して/きらめきかがやき向かい合う/君ののぞみにこだまして/あおばやまびことき乗せる」というテツの替歌も。それにしても、弾き初めの習慣が一月二日なら、この歌ずっと演奏できないということになるけれどね。
27号 参宮国道
庭の千草 たしかに季節を混同して我が国に広まってしまったという感があり、昔、ソノラマにあったのですがシートが破れてかけられなくなってしまい(自分が幼時にいたずらしたためなのだが)、その後ラジオなどでも聴かれたりはしましたが。
月見草 実は、その昔の家にあったSPレコードで「この道」と表裏で、たしか日本コロムビアだったか、「この道」が男声で「月見草」は女声のいずれも独唱でオーケストラ編曲によるものでした。こちらはそのレコード以外に一度もよそで聴いたことがなかったので、もっとも楽譜の所蔵はしていましたが。同じ題名で第三高校の寮歌にもあります。悲しい話に明るい旋律がついています。月見山は…それは山陽電鉄で。
お月夜 伴奏付の楽譜を所蔵していましたが、初めて聴きました。藤田圭雄先生の「日本童謡史」といえば、本居長世の「お月さん」「つくしんぼ」もその一環で新たに眞理ヨシコ先生のレコーディングがされていましたね。
兎のダンス 一時聞かれなくなっていたが、最近のダンスブームで復活してきたようですね。兎はどちらかといえば北原白秋に多く、野口雨情の場合は狐や狸、イタチ、ねずみなど悪役の動物を引きたてることが多いので、兎を呼んだのは珍しいほうといえます。
秋の月 瀧廉太郎の作品を集めたCDに合唱と独唱で別の録音があります。
笛吹童子 最初の放送の頃は私は勿論生まれていませんでした。昭和40年代に、これをテレビジョンでリバイバルした時に母が主題歌を聴いて涙が出るほど懐かしがっていたのを思い起こします。ところが放送二、三回めかに新しい主題歌と差し換えられたら母の怒ったこと。
ケンタッキー 州歌になっていたとは知りませんでした。アメリカ50州の州歌を集めたCDというのもどこかで発売してくれるといいですね。

次号の予告には「温泉町から」がある。この歌の舞台がどこで歌詞に出てくる電車もどこの鉄道かという説明があったらいいのですが。そんな注文は無理?そういえば、表紙に描かれていたコオロギ鉄道って、どこだろう。
28号 若狭国道
早春賦 「知床旅情」が流行しだしてからよく聴かれるようになったというある種の効果もあったようで。ちなみに「早春譜」とやったらキャンディーズになるのでってまたずいぶんな昔。
どこかで春が そや、大阪には童謡の碑はひとつもなく童謡の土壌がないとか言われていたが、そんなことは絶対ないことはすでに明白の理であること百も承知ですね。
ウグイス この歌はもちろん文庫本で歌の存在はずっと知っていたが、聴いたのは実はあのドリフターズの番組で、なつかしや長介人形を抱えた仲本工事さんが歌っていたのが初めてだったという妙珍なこともある。そういえば、「天才バカボン」にもまるごと出ていたし、作詞作曲者は当初からわかっていたはずだが、著作権はどうなっていたのやら。
春の日の花と輝く はい。校歌集のほうの楽譜で先に知りました。
どじょっこふなっこ 育ての親は秋田県か。しかし、生みの親は青森県木造町の民謡「田植歌」なのだが。
乙女の春 これも大阪生まれか。「野崎小唄」と同じ作詞者とは。鮫島さんが吹きこんでいた平成4年のCDは勿論購入してまた同一のものですが。

そういえば、「早春賦」の解説で「柳の芽」の歌詞も出てきたが、今年は本居長世の生誕120周年で没後60周年、年間購読予約をすでにしている人もたくさんいるなら、いっそオール本居長世の号を組んでいやでも知られていなかった曲を聴かせてやるようにしたらどうだろう。
29号 淡路国道

河内長野市ゆうたら、ユースホステルもありますし、楠木正成ゆかりの唱歌の世界、音楽合宿には最高の場所でもありまっせ。
さて、今回の号は、「さすらい」がテーマか。まずシューマンは、合唱団にいた頃歌った経験があります。ステージ上でやったことはありませんが。しかし、ジプシーという言葉が使えないというのなら、昭和48年から52年の間にジプシー球団と言われた当時本拠地のなかったロッテオリオンズについてはいまどう表現するのだろう。
さすらいの唄 これは断然佐藤千夜子さんのものがいい。白秋も晋平もまだ童謡にかかわる以前の頃の作品。全く関係ないけど「馬は氷の…」東海道本線の舞阪駅は開業当初「馬郡」(まごおり)といったのだが、蒲郡と紛らわしいのですぐ変えた。トルストイだって世界に名だたる人なのに、それでも教育上良くなかった劇の歌だったのか。
さびしいカシの木 の西脇久夫さんといえば、サトウハチローとともに中日ファンでありながらサンケイアトムズの球団歌をそのハチローとともに作ってしまった人。そのころ「みんなのうた」を見ていたと思ったのだが、意外と記憶がないなあ。
気球にのってどこまでも ご当地ソングのない佐賀県でこの歌を郷土の歌としたい旨もあったようだが。
谷間の灯 はて、桜田淳子さんが歌っていたとは知らなかった。東海林太郎さんはいちおうクラシック出身だけどね。
汽車ポッポ 発表された昭和13年の時点ではすでに丹那トンネルが開通(昭和9年)して御殿場線となっており、兵隊さんが乗っていたのは富士山麓にいまでも自衛隊の北富士演習場がありますが、兵隊さんはそこにまず集まって演習をしてから戦地に赴きに行ったのでした。ちなみに。本居長世作詞作曲の「汽車ぽっぽ」(ひらがなで書いて区別するのですよ)は昭和2年でこれこそまさしく東海道本線だった頃の歌で、両者の間にテンポの相違があるのも、御殿場線になったために複線だった線路を資材を軍事に充てるために単線にしてしまった当時の事情があり、スピードダウンした経緯を物語っているのです。ちなみに丹那トンネルのほうは最初から電化でしたが、御殿場線はSLのまま戦後も残り、昭和43年にやっと電化されて歌の光景はなくなりました。
30号 播因国道
赤い靴 今回は横浜がテーマか。しかし、「赤い靴」は横浜と切っても切れないものと思っていたら実は、モデルの少女は横浜とは全然関係が無く、歌も架空の光景だったというのは寂しいお話で、雨情先生は鵜の鳥がいないはずの「波浮の港」を書いたり、タヌキがいないのに「証城寺」で踊らせたりウソばっかり書いている。ウーム、私は「偉人さん」だと思っていたから、歌のとおり連れられて行った女の子は向こうでスターかなんかにでもなってきっと裕福な生活を…と昔は思っていたのだが。しかしながら、そのさんにとってはいちおう姉ということになるのだけれど。それにしても、遊覧船の名前があかいくつ号だったり港近くにも赤い靴という名のホテルがあったり、この歌ほど幻とはいえ土地に根付いたご当地ソングもないのではなかろうか。「青い眼の人形」とともに。
港が見える丘 これ、鮫島さんのCDにあったものと同一だが2番の「チラリチラリ」はまちがい。「キラリチラリ」あるいは「キラリヒラリ」とちがう言葉がひとつずつ使われていたはず。さて、写真は横浜ではない、ひょっとすると函館?
海は目をつぶる 初めて聴いた。朝日放送ゆうたら関西限定やんけ。たしかにあったな、こんな感じの歌で舞台設定の絵があって。しかし、やはり歌謡曲風で、眞理先生にはやっぱりこういう歌は合わないような。
人魚はゆめの中にいる これも初めて知ったが、そんなに古くからあったか。赤いローソクと人魚の童話は知っているが。
手まり歌 うーんと、この歌は私も小学校の教科書で習っています。石段がある天神さんといえばやはり湯島天神か、ちなみに亀戸や大宰府は全部平地上にあったし。
黒い瞳 フリオ・イグレアシスいましたな、昨今のヨン様ほどでもなかったけれど一世を風靡した、たしかパーマンの須羽みつおくんの母親もファンだったし?
30号 備讃国道 ついに「四季の歌」登場!!しかしレコード会社の関係で歌手は
四季の歌 ところでこの歌は明治維新以来の我が国の名唱歌を収録した講談社文庫「日本の唱歌〔中〕」(金田一春彦・安西愛子:共編)にも最後のほうに掲載されており、これに付けられていた解説を引用すると「歌詞はことに稚拙な歌であるが、歌いやすさのためか、怒涛のように広く歌われた。」と、まあ金田一先生も多少辛い評価をしていながらこの歌を名曲に列挙させたことを称えるべきなのか、講談社の本だからキングレコードが絡んだかもしれないが、これも栄誉だろう。
春が来た まだ、春の来ない私には関係ない?金沢のどのへんの写真だろう、卯辰山あたりか。
桃太郎 おとぎ話関連は「浦島太郎」以来やっと出てきた。その時の解説で誤解を招いたかもしれないが、「金太郎」が「飲む」、「桃太郎」が「打つ」、「浦島太郎」が「買う」に相当するのである。人によっては、鬼は悪いことしているわけでもないのにウルトラマンの怪獣のごとくなんでやっつけられるのかと言う人もいるが、実は伝説を調べれば大江山の酒天童子と同じく都に出ては金や女をあさっていたのであり、そこらへんが歌ではなぜか、ひょっとすると女を鬼が襲うきわどい場面を省略させたのではなかったかといかにも文部省の発想であろう。ちなみに、私は「仕事の鬼」ならぬ「仕事の桃太郎」を自称している次第。風俗営業の店名にもあったとか、ロクでもない話もあるが。
ひなまつり この歌ですが、実は私の学年で最後の教科書となった「一年生のおんがく」にあったけど、授業でやった記憶はなく、おそらく時間切れでやらなかったと思う。一年生では私はまだピアノを習う以前で楽譜の読み方を知らなかったから、長調の歌とは気づかなかった。平井康三郎先生には悪いが、やっぱり弱い感じ。まず歌詞と旋律とがバラバラの典型的な文部省唱歌の見本。「うれしいひなまつり」のほうは勿論、二年生でテストにされるまでさんざん歌わされた。女性が担任だとどうしてもこの歌ははずせないようで。そういえば、ひな人形のメッカ、埼玉県岩槻市もこの春にはさいたま市に編入され、いま最後のイベントに躍起である。
いなかの四季 おお、引越しで昔のレコードを処分して以来36年ぶりに我が家に戻ってきたゾ。作曲者は鈴木重太郎と判定されていたはずだが…、大洲市にはピアノのあるユースホステルもあり、演奏会やりたいところである。春夏秋冬を順にこうして歌う曲はほかにも、旧制松本高校寮歌「春寂寥」や弘前高校寮歌「都も遠し」など。高田三郎の合唱曲「心の四季」第一曲目もそうだが、まさに日本の特徴をよく歌いこんだもの。それだけに、最後の
ステンカラージン がムードぶち壊しという感じ。
31号 広呉国道
故郷を離るる歌 そうなんですね、たしかに。オワリが尾張に聞こえたり、吉丸一昌は恐らく作詞作曲者を隠す文部省唱歌のやりかたを批判してのちの童謡運動への糸口をつけていたわけですが、その実現を見ずして世を去っていたのは惜しまれますね。
別れの歌 札幌オリンピックといえば、まだその頃の札幌は近代化も遅れていて交通アクセスも不十分であり、翌年に千歳線が別ルートで複線化されていたような。こうなると、長野五輪の時に新幹線なんていらないような気がしますね。ちなみに中田先生自らの編纂による混声合唱組曲「日本の四季の歌」最終曲にもあります。
グッド・バイ 今回唯一の童謡は、これけっこう泣けてくる歌なんですね。そういえば、昭和44年に東急旧玉川線の用賀駅で、ある子どもがおかあさんにきいていた「どうしてこの電車はさようならなの?」「ごようがすんだらグッドバイバイなのよ。」一番の歌詞にある電車とはその廃止された玉電だった…いや、住んでいたのは横浜市だったはずだが、中山晋平作曲の「でんしゃ」という歌も作詞しており、どこの電車を歌ったのかがやはり気になる。
卒業生を送る歌
卒業の歌
いずれも知りませんでした。文庫本の唱歌集にもないし。
翼をください 人によっては歌われすぎたためにタイトルの後ろをとって「ダサい」歌とも。私は翼はあまりほしいとは思わないな。けっこうバタバタさせるのは疲れるだろう。そうすると、オバQやパーマンのようにのんびり空に浮かんでいられるのがいいわけで。高度恐怖症なのでやっぱりね。
最後の曲「星影さやかに」という出だしを聴くと私はその後「光れる北を」と続けたくなってしまう。それなにかって?勿論、北大寮歌「都ぞ弥生」ですよ。そういえば、川崎の小学校では出身者の佐藤惣之助を称えて「六甲颪」を大合唱したそうな。いくら童謡のない人でもいささかとは思ったが、寮歌は取り上げてもおかしくない。
32号 南風国道
春の唄 もし、「唄」という字を「歌」とするとメンデルスゾーンになり、「うた」と仮名でやると野口雨情作詞で草川信作曲の童謡になります。しゃべる時は歌志内の歌、美唄の唄といえば相手にわかる…わからない人のほうが多いか。
つづいて、広島カープの試合に得点が入った時に演奏される…リズムが「宮島さん」のそれは実際にはむちゃくちゃな付点基調になっているけれど、しかし「せとかけ」というのはいつごろ使われていたのか、群馬県の記念館に行った時に知って驚いたことがあったが、もちろん愛知県の瀬戸が産地で、カープの瀬戸内海は関係なく、そういえばはなさかじいさんの正式な発祥地というのはわかっていませんね。
金太郎 神奈川県の足柄山、「桃太郎」は岡山など、「大黒さま」はもちろん鳥取だし、「一寸法師」は京阪三条…やなくて、京都の三条であるのに対し。
春の潮だまり これは初めて聴いたけど、「みんなのうた」をその頃見てなかったのか、宮中雲子さんというのはそういえば女性ではない人では?
花かげ ちょっとこのアレンジは凝りすぎの感がある。やっぱり、昔から聴いているトラウマもあるが、原曲のイントロでないと。
霞か雲か 解説では余り記憶にないが、たしか小学校の授業では勝承夫のそんな歌詞で習っていたなというのを思い出した。
33号 南国国道
池の鯉 曲はよく聴いたが、CD・レコードでは初めてだったような。今年はカープも強そうだし?
バイカル湖のほとり
河は呼んでる
これらはある種の社会派歌謡でもあったわけですね。
木の葉のお舟 そうですね、この曲が野口雨情作詞で中山晋平作曲であるが故に、他の有名曲のかげに隠れてかすみがちになったのを、また雨情ブームで息を吹き返してきたようで。そういえば、東海道本線立花駅を通過するあさかぜ号の撮影は不可能になったが、鹿児島本線木葉駅を通過するリレーつばめ号ならまだ撮影できる?いずれ過去になるが。
金魚の昼寝 久しぶりに子どもの独唱でいい感じ。
川の流れのように ニューヨークがモデルでしたか。すると某クイズ番組のエンディング用になる曲として作られていた?今回は、水がテーマか。水入り2度取り直しで大相撲中継が延びてこどもニュースとみんなのうたが中止になった、子ども・童謡軽視の風潮による怨念いまだ消えず?それはともかくも、歌は大切にしてほしいものである。
34号 かもめ国道
背くらべ 私も父方の実家で実は祖母が柱に傷を入れていたことがあったが、中学生の時に結局改築しなければならなくなったために…まあ、もうそのへんなら潮時でしたけどね。
花の街 この歌の舞台は、神戸電鉄の鈴蘭台の先が…そこは「山の街」で少し先へいけば「花山」があるところで惜しい…と思ったら、三田市まで行けば「フラワータウン」があるけれど、神戸のイメージも強い感じの歌。
みどりのそよかぜ そういえば、和光市にまだ清水かつら記念館はできないものか。かつらの詩だけを集めたCD、草川信の曲だけというCDも出てきてほしい。
春の宵 たしかに難しい、大衆的ではない曲だが、思えばまだ童謡を作る以前の、またこれから結婚相手を見つけて家庭を作ろうとする前の青春の苦悩を象徴しているような、その頃は中山晋平も浅草オペラに専念していた時代、童謡の時代がまもなく来ることが想像できたろうか。
かぜよふけふけ 私が子どもを卒業した後の童謡、早慶戦で作詞作曲されたか。
おつかいありさん の関根さんは、たしか東武だったか京王だったか、まさに私鉄のひと駅間らしい短さの「私鉄童謡」だな。
最後のフォスターだが、実は私はこの歌を大阪の小学校の教科書で習ったのだが、東京に転校して授業中にフォスターの曲をあげろと言われて指された私が「春風」と答えると、実は誰も知らないのである。その謎がわかった。こちらでは「主人は冷たい土の中に」(勝承夫:作詞=おもいでさそうよ、ふくかぜよ〜)でみんな習っていたからである。すると、その小学校も中学校も卒業してから、例のドリフターズ全員集合の合唱コーナーでは「春風」として出てきたので、もっと早くやってくれたらの思いであった。たしか、サントリーのCMでこちらは歌詞のないオーケストラだけの演奏がのどかな映像とともに流されたことがあって、その時はいい曲だなと思わせられた。
35号 みどり国道
汽車ぽっぽ この岡崎裕美さんにも会ってみたいです(笑)。
君よ知るや南の国 意外と作曲者のことは知らなかったもので。
コイノボリ 作曲は小出浩平というのはまだ証明されてなかったか。
夢のお馬車
むこうむこう
2曲はすでに当方が所持しているものと同一の録音ですが、いちばん謎の多い西條八十のことを知るふたばこさんがすでに故人なのが残念です。
ドミニク 日本放送協会「みんなのうた」でたしかに最初、この歌詞で聴きました。ラテンアメリカのドミニカ共和国とは関係なかったわけで、そうか、全米ヒットチャートの1位だったか。
36号 すずらん国道
鐘の鳴る丘 「港が見える丘公園」に対して、ぜひ「鐘の鳴る丘公園」という地名もほしいところ。
青葉の笛 神戸を舞台にした歌はなぜに物悲しい歌が多いのか。ちなみに、広島県庄原市の民謡に「敦盛さん」があります。こちらは、敦盛の彼女だった人が失意のあまりに都落ちして死んだ場所がそこだったことからできた歌だけれど、対照的に明るい盆踊り歌になっています。
なすの与一 楽譜は文庫本でずっと所有していたが演奏したのは初めて聴きました。そういえば、高松で定期観光バスに乗った時、客が自分のほかに男一人しかいなくて、二人でバスガイドをからかい、おりしも屋島に行く途中の道路沿いで、日本一悪評高いユースホステルを見つけて教えてやったり…もうやってないから問題ない?けどね。
青い風 これも、楽譜は所有していましたが初めて聴きました。海沼先生の曲も川田正子さんのいた頃にいちばんいい曲が集中していて、いなくなってからの作品には腕が落ちているような感が、もしかすると小出監督と同じ心境だった?
愉快な町の風船屋 ああ、これ知りませんでした。
さつきの歌 知りません。歌詞が後から当てはまったようで、しかし逆だったらこんな旋律にならなかったかもしれない。
モーツアルトの子守歌 えっ?モーツアルトの曲じゃないって?だったらなんでフリースの子守歌にしないのかと荒井注さんの怒りが聞こえてきそうな。
37号 北斗国道
雨降りお月 まあ、この曲は本当に人騒がせで、私を含めこの曲のためにケンカした人々が何人いるやら(笑)。今回、誰のものを使うのか気がかりでありましたが、結局南安雄編曲のもので取り合えずホッとしてます(笑)。というのも、勿論この曲は1番と2番とが異なる旋律で演奏するのが正統なのに、同じ旋律でやっている人が結構多いもので。どうしてそんなことが起きているのかといえば、ひとえに楽譜出版社が全部載せきれずに1番の曲譜だけ掲載していたものが多く出まわっていたせいなのであります。また、2番は「雲のかげ」という別の曲なのだから入れる必要がないと判断されていたこともあるようです。これがとんでもない波紋を呼んでいるわけで、今号にはしっかり全曲譜掲載されていることでこれを機会に世間に正しい認識を与えられるようになれば幸いです。
四季の雨 CDでは初めてですが、だいぶ以前にダーク・ダックスがテレビジョンで歌っていたのを聴いたことがあります。しかし、言葉も旋律も小学生には難解で、それでいて主体性のない歌の見本であることは團伊玖磨先生がすでに取り上げております。
雨がさからかさ これは存在自体も初めて。いや、こういう歌が出てきたのはすごく嬉しいですね(笑)。惜しむらくは、旋律と歌詞の高低が一致していない箇所が多くてそのために流行しにくかったものと思われますが、4番まである詞に曲をつけるとなると苦労も並大抵ではないでしょう。
つぎは、葉っぱが一枚あったとさ、毛が三本、あっという間にオバケのQ…それは複製ものですが、そういえば今日は6月6日で…わざと伸ばした?しかし、変な合唱曲ばかり作っている間宮芳生が編曲していたとは意外?でした。
田植 これは当方には安西愛子先生のオーケストラ付のレコードが昔からあります。電車のない島根県安来市出身の作詞者が「電車ごっこ」も作っていたというわけで…いや、昔あったけど…私は実は松江で駅レンタカー借りて足立美術館をユースホステル会員割引で見学したことがあります。そういえば、小泉首相が外国の首脳と会談というと、どうしても「怪談」に聞こえる。なに、それは余談?
あしたてんきになあれ サトウハチロー記念館のCDにあるのと同一で、昨年私もこの曲をCDから聞き取って採譜したアレンジによりライブで演奏したのを聴かれたご記憶のある方もいらっしゃると思いますが、実はもとの楽譜を知らなかったので、あ、ちがうということが。それにしても、昭和43年の東京で9丁目まであって6丁目に踏切のある所ってどこなんだろうか、小田急の成城か葛飾区の貨物線が通じている奥戸が、いずれも後で住居表示改正によりできたらしく、そんなもん架空に決まっとるやないかと言われても、いや、絶対にどこかモデルの風景があるんだと信じ込んで、童謡の故郷探しの旅はこうして続くのであります。

最後に、ゲストが麻丘めぐみさんといえば、私の中学時代に熱心なファンの級友がいたし。こうしたアイドルのひとたちは童謡には縁のないものと思われたけれど、文章を読んで音楽に対する姿勢は決して半端ではなかったんだということが初めてわかったような気がしました。そういえば、彼女のヒット曲に「アルプスの少女」というのがあったが、すると最後の「チロルの子守歌」はそれとの関連で出てきたわけか(?)。次号はまた級友に熱心なファンがいたアグネスチャンか(笑)。
38号 おおぞら国道
母の歌 この歌は第二次世界大戦中の非常事態で検閲が厳しい時期に初等科音楽として生まれた文部省唱歌の一曲で、実は個人的な話ですが私の母は当時小学生でこの歌は知っていたのですが、父はすでに卒業して中学生でした。したがって、初等科音楽発表の唱歌は母ならほとんど知っているのに父のほうは知らないという現象があり、前号の「田植」のほか「野菊」などもその類です。そして両親とも故人で、母が実は岸洋子さんと同じ類の病気で他界するまで十年ほど闘病生活をしておりました。とはいえ、「母の歌」は昔から桑名貞子さんのレコードがあるのでそっちのイメージが強いですが。「夜明けのうた」も、近所で聞こえてきたエレクトーンのいつもやっていた演奏のイメージが強く、その方にとっては思い入れが大きいのでしょう。
数えうた 昔からあるレコードのものですが、ちょっと疲れる。やっぱり、高知の豪気節みたいなやつのほうがいい?
およめさんになってね 作詞作曲者ともに初耳でした。幼稚園の先生の思い出は勿論あるけれど、恋心というほどまで感情が発達してなかった気が。私の場合はどちらかといえばそれは同じクラスの女の子に対してのほうだったような(?)。
スコットランド… これもピアノの練習曲で知った。「ともしび」と同じ類の軍歌だったんですね。
シューベルトの子守歌 最初に訳した近藤朔風の場合は失敗作でしょう。
からすの赤ちゃん はそういえば、ドリフターズのギャグで「七つの子」を歌っている時に加藤茶がこの歌を歌い出したことがあり、知名度が低い今は受けるかどうか。ところで、私はこの曲に地元文京区ゆかりの替歌を作っています。それは「ポンジョのネエちゃんなぜ泣くの/ワセダのニイちゃんに/黒い学帽ほしいよ/黒い制服ほしいよ/とエンエン泣くのね」「オチャノミズのネエちゃんなぜ泣くの/トウダイのニイちゃんに/四年になったのよ/本命男をちょうだいよ/とエンエン泣くのね」「トイタのネエちゃんなぜ泣くの/ケイオウのニイちゃんに/夜道は怖いよ/BMWで送ってよ/とエンエン泣くのね」という…、おいおい、唱歌やわらべうたの替歌はありでも童謡はやらないという不文律があったはずなのに?まあ、作詞者が詩人じゃないからって言っても怒られるな。
39号 おおとり国道
たなばたさま 作曲者の下総皖一、難しい字で部首コード引かないと探せない「皖」の字は、30年ぐらい前にタイガースの投手で鈴木皖武というのもいたが。
ヨット 初めて聴きました。教科書に載っていたから、童謡よりは唱歌と呼んだほうがいいか。当時の子ども達には難しいリズムのとりかたで流行りにくかったところか。
ねむの花 これも意外と知らなかった。同じタイトルで野口雨情作詞で宮原禎次作曲のほうなら知っているが。なんとなく、歌詞の出だしがそれこそ小椋佳あたりが作りそうな感じ。

新沼謙治さんのお話も興味深いですね。へえ、新世界や唱歌も大好きだったというと、聴いてみたいですね。いい音楽の先生に出会えたのがよかったですね。そういえば、三陸鉄道開通直後に訪れた盛駅で、実家はここですという案内図まであったし、今はなくなってしまった岩手開発鉄道にもっと近い駅がありました。
40号 宗谷国道
水色のワルツ さて、3月でもないのにマーチのパレードか?まずは、高木東六先生の曲であるが、日本放送協会のあなたのメロディーにもふれてほしかったなと思う。
仲よし円舞曲 知りませんでした。今号はその作詞者の郷里を取り上げて22号と同じく大惨事のあった鉄道沿線とは、なんともバツが悪いな。ちなみに、太平洋側と日本海側との分水嶺がもっとも低くなるという、しかし、名前から神戸市の須磨出身かと思っていたが。
マーチング・マーチ これも私が子ども時代を卒業してからの童謡。天地総子さんにも平成3年末、都営地下鉄大江戸線が最初に開通した光が丘駅で一日駅長をやっていた時に実際に見かけたことがありました。
おもちゃのマーチ なに?言い方が悪いと変な方向に取られる?ちゃんと正しい位置にかぎかっこ入れているから大丈夫だろう。どんなものがあったか、なんたってその道にも通ずる地元の両津巡査にきくのがいちばんいいだろう?
歌の回転木馬 放送期間はちょうど、月曜から金曜までがひょっこりひょうたん島をやっていた時間帯に土曜日はこの番組でした。もちろん、「歌はともだち」はこの番組の流れにあります。

今号は富士真奈美さんか。いちばん思い出すのは「ママがライバル」というドラマで、この人が出てくるとなぜか主題歌を崩した弦楽でハバネラのようなリズムの演奏が始まるという、富士真奈美のセレナーデというのがあったっけ?おお、「お山の大将」が愛唱歌か。今後の予定曲に見当たらんがな。
41号 ひだ国道
長崎の鐘 そうなんですね。本当は軍歌だって後世に同じような意味で残していかなければならない文化遺産で、それらを含めて平和というものを考える必要があると思いますね。実にタイミングよい話か、ユースホステルが新たにしかも爆心地の浦上地区に開設されるというニュースが入りました。かつては4軒市内にいずれも多人数で人気を誇ったユースがあり、そのうちのあるミーティングでも「原爆資料館など暗いからといって避ける人がいるがそれはたいへんいけないことだ。」と若いヘルパーさんが観光案内で解説していました。若い人達にはぜひ長崎を、それも特急で行かないで諫早から海のよく見える大草経由の旧ルートを通って浦上で降りてほしい。帰りは始発の長崎から新線経由にすれば両方乗れる(浦上−長崎は重複している)からです。
青い地球は誰のもの
忘れていたよ
忘れていたどころか、いずれも記憶にないです。そうですね、大阪万博の以前に公害という言葉は辞書に載ってなかったんですね。愛知万博?行こうか。不来方の城がどこにあったのかみんな知ってるのかな?
母さんたずねて 手もとに川田正子さんの同一のテープあります。この曲なんですが、戦災孤児の歌だったという説があるのですが、その件にはふれられていないようで。行元寺、どう行ったらいいかといえば、いすみ鉄道上総中川駅から北へ5キロぐらいありそうだべ。国鉄木原線の頃以来小湊鉄道とともに乗っていないが、今度行ってやろう。
山の歌 小学校三年生で習いました。伊藤咲子さんの「乙女のワルツ」はこのリズムを参考にしたとか…ウソや。高梁市、ユースホステルに泊りたかったが事情で泊れず解約された。途中下車したことがないが、「角兵衛獅子」という曲がどんな旋律なのか知りたいな。
しずかなしずかなうた これも初耳。湯山昭先生のパターンか。「四分三十三秒」というのは知ってます。なんでそういう長さなのかわかりませんが。
42号 くろしお国道
山への別れ 初耳。これがまたユースホステルで発生した歌をみんなで歌って騒ぐことに共通するものですね。そういえば、どこからかのレコード会社で「山の歌」としてまとめたCDを販売してシリーズのTはまだ店頭にあるのに、UとVが廃盤になっているのが残念です。
山男の歌 元々「巡航節」といって戦時中の海軍から発生した歌を替歌としてうたごえ喫茶から広まっていったもの。
お山のお猿 このCDのアレンジは昔からウチにあったものと異なって初めて聴いた。このほうが原曲に忠実なアレンジながらいきいきとした演奏ですね。
泉のほとり これ、昨年の「月見草」と同じく久々ウチに戻ってきた体内を電気が走るような懐かしさを感じました。それこそ、谷内六郎の挿絵があったソノラマKODAMA唱歌集で聴いたのが唯一でした。東京少年少女合唱隊だったか。
げんこつ山のたぬきさん たしかに、自分が子供時代を卒業してから流行していました。
43号 阪神湾岸国道
誰もいない海 越路吹雪さんのほうでは実は聴いたことがありませんでした。まさに、夏が終わってしまった後。しかし、大学生あたりはいまごろ夏のアルバイトで貯めた小遣いを旅に使うために出かけている、ちょうど今ごろがいちばん出入りが多いかもしれませんね。
里ごころ このCDは既に購入済です。私のようないつも旅好きには一度も考えたりしませんで、帰る当日だとまた帰ってきて楽しというだけでありました。
とんぼのめがね これは、額賀誠志の福島県広野のほうに碑がなかったかな。作曲の平井康三郎先生は勿論、私にとっては母校の大学にいくつかある応援歌で、特に「青春ののろし」は学内の学生に好評です。いの町といえば、元力士でタレントになった荒勢の出身地でもありますね。土佐は高いよ進学率も/荒勢 朝汐 土佐ノ海/ヨサコイよさこい…?
赤い鳥小鳥 この歌、ちょっと変わったものがあります。この歌から子音をはずして「アアイオイオオイ」と歌ってみてください。そう、出てない母音がひとつあるのです。よく「黒い鳥小鳥」とやらなかったもの。白秋はメーテルリンクの童話を知らなかったか。
白月 そう、仲の悪い者どうしで作詞作曲された別名「曰く月」(いわくつき)。だいたい、作詞者のほうはそういう読み方をやったことも確認しないで作曲者が勝手に発表したもので、ついに作詞者のほうに本当はどう読むのかときいても答えが得られなかったとか。
お月さんと坊や 最近になってからよく聴かれるようになりました。
コロラドの月 高校の授業で実は初めて知った曲。アメリカに行ったことがないので、もし行けばもっと親しめるようになるかもしれません。

ゲストは沢田亜矢子さんか。そうですね、市町村合併で消えていくものがあるというのが、共鳴いたします。「ポプラ」ね、小学校で習いました。北海道らしいですね。この人のイメージといえば長いことテレビジョンでやっていた「ヒントでピンと」だったか。
44号 根釧国道
十五夜お月さん なんといっても本居長世にとっては月がツキ(lucky)に通じるのか、月の歌に作曲すれば当るというジンクスもあったようで、この「十五夜お月さん」のほか、西條八十と結びついたのも「お山の大将月ひとつ」だし、三木露風とか相容れなかったが「白月」もあり。でも、ある意味で言えば月見草のような存在だったかもしれないと、ひまわりはやはり山田耕筰か中山晋平だろう。
俵はごろごろ 私のホームページにも階名入りで掲載しているが、そういえば主音はどこなのか、勝手にト短調と判断させてもらったが。ちなみに、本居若葉さんにも確認したが二段目3小節目3拍目の音を訂正した事実はないそうで、二番と三番はおそらくレコードで短すぎたために後から雨情自身が付け加たとみられる。
歌の町 三段目3小節目の八分音符は気づかなかった。いろんなところでずっと聴いたことがあるが、ウチにはレコードはなかったと思う。と思ったら、子どものころにあったピアノ練習曲集に入っていて、たしかにそうなっていたとは意外と知らなかった。今度、三浦半島へ路線バス乗り放題の切符で行ってくるか。
森の夜明け これも、2小節目の「す」が本当はその前の「ま」と同じ音符で一気に歌うようにしたほうがよかったような。
こおろぎ 小学校の教科書にあったような、ちょっと記憶にない。芥川也寸志は難しい伴奏をつけた人でした。
実りへの決意 これは知りませんでした。作詞者の宮沢章二、その前の関根榮一、また阪田寛夫、筒井敬介などが今年の2月から3月にかけて相次いで他界されていたのを、先の童謡祭で初めて知ってその追悼のような形の演奏会が行なわれた次第。どういうわけか、作曲家や詩人は同じ時期に相次いで逝ってしまうことが多いですが、こうたくさん出てくると、さびしいですね。
ドナドナ ここにある、知っていた歌詞や旋律が少し異なったものを聴くのは初めて。ある晴れた昼下がり、大阪ドームへ続く道、電車がゴトゴト球団を乗せてゆく、近鉄バファローズ売られてゆくよ、オリックスにブルーウェーブと合併されて…思えば、昨年の今ごろはこんな感じでした。
45号 三陸縦貫国道
さくら貝の歌 すでによっこおねえさんのものでいちばん聴き慣れてしまっているので、まあ、「ラジオ歌謡」は戦前の「国民歌謡」からの流れですが、これがまたテレビジョンの「みんなのうた」にも引き継がれているわけで。もっとも、どちらかといえばこの歌は団体より個人で歌うイメージが強いですね。
秋草 はじめて聴いた。「月見草」と同じ系統の女学生唱歌出身の歌ですね。けっこう、新鮮味があります。歌詞はいかにも唱歌という感じですが。
信太の藪 さすがに地元の解説は強いでんな。うれしいね、幼なじみのあこがれの羽崎共子ちゃんだから(童謡のレコードに挿入されていた歌詞カードに顔写真があった)。
うさぎとかめ この歌詞には実は筝曲もつけられていることを知る人はほとんどいないだろう。また、西條八十が戦前の幼児向け雑誌「幼年倶楽部」のCMソングにこの歌を替歌にしてラジオで放送させて大顰蹙を買ったという話もある。
見てござる ジャズに使われて問題になったことがあったという歌。このCDにあるものは昔から自宅にあるレコードのものです。
眠りの精 中学の時歌のテストでやった。そういえば、意外なところで、ちょっといじめっこみたいなタイプの奴がこの歌を愛唱歌になぜかしていたのを思い出す。
カチューシャの唄 最初に聴いた時は「髪に願いをかけましょか」だと思っていました。当然、頭にカチューシャをした長い髪の女の子が垂れてきた前髪をつまんで願いをかけていたんだろうという光景を浮かべたり…、まあ、中山晋平も童謡をたくさん作る時代を迎える以前にこんな歌も作っていたんだと思った時は感慨深いものがありました。

今月のゲストは、タイトル通りの道路も通じている地域出身の千昌夫さん。会ったというか、実際に見たことがあります。ちょうど20年前、つくばの科学万博をやっていた時にメーンステージのショーでゲスト出演していた時です。最後の扉「歌は世に連れ」もとうとう終戦の年まで来てその後はすでに紹介されているから、また新たなシリーズはどんな内容なのか、こちらも目が離せないですね。
46号 こまち国道
お山の細道 昔からあるレコードと同じ久保木幸子さんの、この歌はずっとほかに聴いたことがなく、誰もいまは吹きこんでないようで、リバイバルを願いたいもの。同じ作詞作曲者に「電車」があるのだが。
電車ごっこ 路面電車のことをチンチン電車と呼ぶようになったのは、実は「電車」という歌で別々の言葉だったのがくっついてその歌のためにみんなそのように呼ばれるようになった次第。「電車ごっこ」を戦時中に改訂したのは、子供たちの電車ごっこに使われているのは路面電車だけでなく国鉄や私鉄の電車も(車掌の真似して特に急行ならその停車駅の駅名を順番通りしゃべたりしてやっていたし)加わったから「上野の公園前」をやめ、「チンチン」がはずされたためである。決してその言葉がいやらしかったというわけではないと断言したい。
お猿のかごや 小田原提灯だから東海道の歌かと思いたいが、やっぱり長野か。この歌の楽譜もフラット二つのト短調になっているが、本当は音階上三つのハ短調にしなければならないと思うところがボーカルにも元曲の伴奏にも第三間(イ…ハ長調でいえばラの音)は使わないからとして調号は今日もそのままで使われている。
朝の光がまぶしい時は この曲は知りませんが、実は、たいらいさおさんを最初に見たのもずっと以前にあった鳥取のそのコンクールであった。自分も曲を投稿して当選させたいと思ったけれど、いまは創作コンクールはやらなくなったよう。せめて、わらべ館で弾き語り披露したいね。
バスのうた ブルルルルルという発音、難しいね。いわゆる巻き舌の発声は合唱でもよく練習させられたし。バスが出てくる歌といえば「東京のバスガール」の、更に替歌を思い起こす。知人で学生の夏休みに車掌のアルバイトをやってた奴がいて「若い希望も恋もない…明るく明るく走れない…昨日チェックを入れてたコ、今日はにっくき彼氏づれ」などと、気のきいたような内容を、そいつに承諾とってこっちのホームページに掲載したいところだが、いま行方不明なもので。
出船 秋田県の能代のほうに本拠地を譲りたいね。本居長世の碑には、裏に「のこり花火」の楽譜があることを例によって写真では隠したようで。そういえば、「若山牧水の子守唄」も、このあたりを歌っているが。
47号 陸羽東西国道
銀色の道 そんなテツな要素があったとは。しかし、それこそオホーツク海沿いに建設が計画されて一部が南北から開通しながら廃線になってしまった興浜線など、まさにそのタイトル通りですね。廃止になったけれどいつか復活して当初の目的通り全線開通する未来もあるかもしれない、まあ、自分の生きているうちにはないかもしれないが。
ともしびを高くかかげて 知りませんでしたが、日本放送協会のコンクールに使われたその年といえば、まさに自分が高校生だったころ、したがって同期で合唱部のある高校に行って出場した経験のある人は知っているということになるわけで。
新日本紀行
宇宙人ピピ
なつかしいですね。
次は、やぎさんも民営化には賛成なのか反対なのか?それ以前に投票用紙を食べてしまうからわからない?でも、自分で書く手紙はよく食べずに出せるね、などというのは野暮な。ところで、徳山市はいま周南市になっています。
散歩唱歌 当方に所蔵していたものと少し違います。私は、春では14番、夏では1番、秋では2番、冬では7番と9番が好きだなと思いました。
私が、前回予告した悲しい歌というのは、この「武蔵小山」でなくて。ハチローがファンでしかも生涯中にただ1回だけ経験した中日ドラゴン時が優勝した年に発表された、実際の経験から作られていたのかは明確ではないが、最後の内容から、おばばは実際に死んだことは確定されていなくて実は徘徊に出てずっと行方不明になったままなのかとも。当方にあるのは文中にあるサトウハチロー記念館の伊藤久男さんが最初に出していたもので、もとの楽譜を所蔵してないのでCDから採譜して当方がアレンジしたものを、今度のライブでやる予定です。
最後は、野ばらのエチュード…違う。結婚相手に選ぶならこのような子守唄を毎夜歌ってくれるような人がいいなんて、子供でなく自分の為にとは図々しくも、でも、こうして一日の安息した終りを毎夜迎えられればいいなと。
48号 仙山国道
野菊 伴久美子さんの吹きこんだものは昔から当方にありますが少しアレンジが違うよう。
霧と話した 鮫島有美子さんのCDで知りましたが、本当になんという文字を書いていたのか、気になるところ。
知らない子 春口雅子さんのコンサートで初めて聴きました。これはいい歌です。ちなみに、作詞者も今年の2月頃に他界しています。
紅屋の娘 宮川先生のこのアレンジはちょっとやりすぎのような感がします。
雁がわたる この歌はCDでは初めて聴きましたが、私が知ったのは子供の頃にピアノを習っていた頃、バイエルの併用曲集でバイエルの練習曲だけやっていたのではつまらなくなるからと副教材のような形で童謡や唱歌を編曲したもののなかにこれがあった。八分音符以上がないから使われたような。ト長調でもシ(F#)が出てこないので黒鍵は使わない。
茶髪のジェニー 最後は、そのまま訳すと「茶髪のジェニー」になるが、もともと日本語も妙なもので、あれも正確には黄土色なんだろうが。もし、昔の訳が茶髪になっていたら逆にいまの茶髪が金髪と呼ばれたかも。
ところで、今号のふるさと紀行(どこの番組?)は埼玉県だが、これまでの48冊で果たして47都道府県は揃っているか。
北海…1  青森…1  岩手…1  宮城…0  秋田…1
山形…1  福島…0  茨城…1  栃木…0  群馬…1
埼玉…2  千葉…0  東京…5  神奈川…2 新潟…0
富山…1  石川…0  福井…0  山梨…1  長野…3
岐阜…0  静岡…3  愛知…0  三重…1  滋賀…0
京都…1  大阪…1  兵庫…3  奈良…1  和歌山…0
鳥取…1  島根…1  岡山…2  広島…3  山口…1
徳島…0  香川…2  愛媛…1  高知…1  福岡…1
佐賀…0  長崎…1  熊本…1  大分…2  宮崎…0
鹿児島…0 沖縄…0
なお、地方別に見て、北海道・東北を合わせて5、関東11、北信越5、東海4、関西6、中国8、四国4、九州・沖縄は5となっている。
はて、やってなかったかな?と思うところもずいぶんあり、千葉県は「里の秋」「月の沙漠」「証城寺の狸囃子」などすでに出ていたし、新潟は「砂山」「花嫁人形」、徳島も「お山の杉の子」の時にやってなかった。
これらを含めて、一度も登場していない県が16と約3分の1もまだあるが、果たしていつ揃うか。
49号 磐越東西国道
ちんちん千鳥 当方が昔から所蔵しているレコードのものと同一です。作曲者については、できることならわが母校の校歌も作曲したという解説を入れてくれたらと思ったのですが、六大学野球で負けてなければ優勝が反対だったのにというところで、でもうちは4年ぶり、つまりいまの在学4年生にとっては最初で最後の優勝経験でしたからね。
かやの木山の 鮫島ユーミンのこの版はこれで我が家に3枚同一のものが入ってきたことになります。でも、この歌も昔から所持している鈴木寛一さんのほうがいいです。まあ、次の曲とともにどちらかといえば男声向けという感がする。べつに性差別ではなく、そりゃ前号の「霧と話した」のような曲だったら女声のほうがずっといい。
ちらちら粉雪 サトウ・ハチロー記念館のCDで前々号の「裏山小山」とともに知った曲ですが、その同じCDで「裏山小山」のトラウマが消えない少し後に収録されているために、余計に癒されるような感があります。同じ作詞作曲者では、もう梅田駅に聞かれなくなって15年以上たった「晴れたる青空」(阪急ブレーブス応援歌)があります。
風の子供 中田喜直追悼CDと同一のもの。
今号のゲスト、篠原勝之さんは…そうなんですね。国境はないと思われたはずの趣味に国境があったことを痛感したことがあったのも、こうした人たちの集まりに出ていたことだった。しかし、音楽では共有できなくてももうひとつ君には大きな趣味があるだろと天の声がして自己紹介の際には音楽を引っ込め、鉄道趣味があることをさらけだした。すると、私に話しかけてくれた人がいた、うれしかった、こんな自分とは生活条件の限られる人たちの集まりにも鉄道ファンがいたことが。そんな意味からも、私はときおり鉄道ファンがオタクとかひと昔前の死語でネクラとか言われることに対しては不快感を示すものなのです。
50号 毛常国道
乙姫さん さて、今回はまず、47都道府県のなかで岐阜県を舞台にした名曲はなかなか出てこず、ゆかりの地にもいまだに取り上げられていないと以前に書いたが、あったではないか、日本ラインの歌…これは違うか。いつか訪ねたい名所だ。

本居若葉さんが御住まいの神奈川県大和市で演奏会があった時に地元の合唱団が若葉さんと一緒に歌っていた、あのへんの方々には好まれそうな曲。浦島太郎の時は香川県が取り上げられたが、あちこちにある浦島伝説では機業生産地の京都府丹後地域もこれで名乗りをあげそうだ。そういえば、二度と行くまい丹後の宮津、塙の財布が空になると歌われた宮津節のその名も、龍宮城から一字きているのでは…ウソだろうが。
いとまきのうた これ、昔からある外国曲の「ゆきのこぼうず」ではないかと思っていたのだが。本当は補作曲とするべきなんだろうが。実は昭和62年頃にあのジャニーズ少年隊が童謡のCDを出していたそのなかにあった時にこの歌詞では初めて知って、その4年前に作られたばかりだったのか。レンタルで聴いたが、いま思えば少年隊の童謡も買っておきたかった。
人形 実に、36年ぶり自宅に戻ってきた?昔あったビクターのSPレコードで「わたしの人形」という題だった。同じ曲名がべつにあるならそのほうがよさそうなもの。たしか岩田佐智子さんが歌っていた。「わたしのカレシはいい男」この旋律通りだと、決して本命ではないいわゆるキープ君になるカレシになってしまう。いまや、男が女の人形になっている時代、そりゃ怖い。
アムール河の波 曲は知っていたが歌っているのは初めて聴いた。まあ、旧制第一高校寮歌にも「アムール川の流血や」という、そっちのほうがなじみがあるが。
山のけむり 以前から所蔵している鮫島ユーミンの同一もの。「赤いランプの終列車」なら、なおテツい(鉄道と因縁がある)歌である。
40号を飾ったゆかりの地は「出船の港」のこれまでで最北端となった利尻であった。強風で碑に行けなかったことがある。利尻グリーンヒルユースホステルに宿泊した時、同じ部屋にいた少年が翌朝島を歩いて一周するために早く出ていったが、その同一人物に一年後の同じ日に奈良県青少年会館ユースホステルで会ったという珍事もあった。同じ5月3日だったというのが珍しい。例の、礼文にある話題の桃岩ユースホステルも実は未経験なのだが、いつか行って泊りたいものである。今日から年齢変更だ。
51号 大洗鹿島国道
見上げてごらん夜の星を いきなり、シューマンのトロイメライを思わせる合唱で始まり。最近は星を見る機会がたしかにありませんね。そういえば、反対に「星を見ないで」という伊東ゆかりさんの歌った歌謡曲もあったけど、いま思えばあれはもう叶わぬ夢を追わないで平和に暮らそうという「船頭小唄」と同じいささか退廃的な象徴だった気がするような。やっぱり星は追いたいですね。
青い小鳥 昔からあったレコードと同一です。この歌は鮫島ユーミンが吹きこんでいるのも持ってるけど、川路柳虹も童謡は北原白秋や野口雨情と競うように多くの童謡を作ったけど、作曲家がつけにくいという難点があって、というのは、七五調というのをご存知かと思いますが、そのうちの「七」を細分化すると、雨情などは1番で1行目の七が三四なら2番も1行目は同じ三四にして作曲者につけられやすいよう心がけていたのに対し、柳虹はそのあたりが無視されて韻を踏んでいなかった…まあ、多くの詩人はそんなもので雨情や白秋のようなほうが珍しかったかもしれませんが…そのために名前を広く知られませんでした。山田耕筰のほかに藤井清水が多く曲をつけています。
木の葉 文庫本でずっと以前から知っていたが、曲を聴いたのは初めて。まさに、明治末期の文部省唱歌。
まど あ、これ知らなかった。たしかに難しい曲ですね。
落葉の踊り これも鮫島ユーミンが以前から出しているものと同一。鮫島さんが集めた童謡集を出した時にこの歌だけ知らなかった。
あわてんぼうのサンタクロース 例の、春口雅子さんのコンサートでこれも初めて聴いた。最近は、繰り上げクリスマス会も多いから、期日は問題ではない?そういえば、青い鳥の話もクリスマスから始まっていたはずだから、さきほどのその曲もクリスマスソングになるのだろうか。なんたって「クリスマスの晩」が…いや、我田引鉄はやめよう。
もみの木 写真はもしかして函館?
52号 駿甲国道
浜千鳥 実はこの歌嫌いだと言ったら、ほーと思われるかもしれない。ずっと以前に大相撲にいた鬼雷砲(きらいほう)が最初は浜千鳥(横浜の千鳥地区出身だから)という四股名だった。元大関前の山の高田川部屋だったか。本当は、私にとっては時として涙も出るようなことがあるほどの曲なのであるが、いちばんひなびた千葉県の特急が通らない和田浦あたりがいちばん合うと思ってきたところ、柏崎のほうが本家なのかな。
冬の花 次の3曲連続して実は知らなかった。力士名のような「冬の花」の場合は、教科書で初めて掲載された曲であるから童謡より唱歌といったほうがいいのかもしれない。
くいしんぼうのカレンダー みんなのうたで放送された頃は受験生だったから見ていなかった。やまがたすみこさんなんてそういえばその後どうしているのか、歌はともだちにもよく出ていたきれいな声の人でした。
大黒さま そういえば、今年の春に目黒区の不動境内で年1回集まる童謡の里めぐろ保存会の集まりで、この会はお年寄りがほとんどでたまたま鳥取県東京事務所から若い女子職員が来ていて、この歌はサッカーで大黒選手が決勝ゴール入れたから復活するゾと言ったらこの彼女だけにウケてしまった。しかし、因幡で白兎(はくと)海岸があるのだから当然鳥取の歌として戸籍に入れたいところ、隠岐島から上陸してきたのだからやっぱり島根なのか。国鉄大社線…実は2度上りで乗ったことがあるが反対方向はいずれも一畑電鉄を使っていた。大阪から夜行急行だいせんも乗り入れていたのに、出雲市駅もそういえば機関区がなくなって高架化されむちゃくちゃ変わってしまったし。そのだいせん号も最近なくなりとうとうブルトレ特急出雲も来春で。
向う横町の 伴奏譜も所有しています。けっこう難しいです。
最後は、お正月には歌えないお正月の歌。受験生と喪中の人にとっても歌えない?まあ、いろいろな思いをめぐらしながらみんな翌年を迎えるんやなあ…それでは、しめましてなんとやら。
53号 因備国道
箱根八里 まずは江戸時代の箱根と明治の箱根、ついでに未来の箱根ならぬ、昭和の箱根と平成の箱根なら平急が作詞しています。そりゃ、替歌ですが。「箱根は東の天王山、東急と西武が綱を引く〜」なんせ、フリーパスによって乗れる路線が異なるのだから、天下の険はいまも生きているというわけですね。小田原−箱根にはまともに国道1号を通るルートもあれば旧東海道の畑宿経由、新道経由などいろいろ。しかし、西武系のほうで駒ヶ岳ケーブルが昨年夏になくなったのは残念です。
タコノウタ 小学校一年生で授業にやりましたよ。その時だけですね、歌ったり聴いたりしたのは。
村の乙女 鮫島ユーミンのすでに購入しているCDと同一です。旋律は美しいと思ったけど、歌詞はいかにも国民歌謡か。都会の大学を卒業して田舎に帰った女の子の歌ということになるのでしょうか。逆に都会に住みつづけている者からすればどうしてるだろうか、現代の竹取物語かもしれませんね。
静かな湖畔 幼稚園の昼前にみんなで毎日歌っていました。昔はあれでも田舎の山里でした。すでに都市化しています。
梅に鴬 初めて聴きました。松に鶴、紅葉に鹿、萩に猪、牡丹に蝶、柳に人…って、なにを風流な話と思っていたら、しょせん連想したのは遊びのほうで。
ラジオ体操の歌 は、これもまた大学の合唱団で合宿をやっていた時にしか聞いたことがなかったという…ふだん、そんな時間に起きていないというわけで。
電車唱歌 最初の「箱根八里」と同じ昔から所蔵していたレコードにあるものと同一。いまでは納所弁次郎の娘が吹きこんだ復刻版とダークダックスの鉄道唱歌六十六番とともに全五十二番が入っているCDも揃えたし。この歌詞の内容では一方通行になっている箇所もあったらしいようで、関東大震災の直後に改修されたであろう、荒川線以外では最後まで残っていたのが須田町、上野、浅草、江東地区などで辛うじて自分も乗ったことのある路線が歌われているわけで、いや、33〜34番がいまの中央本線であることに気づく人はどれくらいいるか。のちの野球のメッカがその時なんであったのかも。この歌は乗り潰し唱歌ともいえる。ちなみに平急はこの旋律を使って東急電車唱歌(東横線や玉川・田園都市線など)を作詞していずれ当方のホームページで発表予定。もともとは「東京地理教育電車唱歌」が正式名で「東京電車唱歌」となっていたはずだが。
54号 雲芸国道
まめまき 初めて聴いたけれど、しっかりオーケストラ伴奏付のものが出まわっていたんですね。この手の曲だとたいていピアノ伴奏のものだけしか残ってなかったりしていますから。
豆っこ打ち だいぶ以前の童謡コンクールでこの歌で優勝した当時小学生の女の子二人組がいたし。そういえば、川田先生もかつては豆歌手と言われていたわけで、またまた?林柳波作詞で本居長世作曲の歌には「豆打」もあるし。
一寸法師 おりしも今年は鉄道国有法百周年にあたるわけで、国内の私鉄がほとんど国鉄となったのと時を同じくして子供の歌も文部省唱歌になったわけで、その後いまの大手私鉄にあたる通勤鉄道が相次いで開通したのも「赤い鳥」や「金の船」などの民間から発生した童謡の時代とダブっており、ここに国鉄・JR=唱歌、私鉄=童謡の図式が成り立ち、我が国の鉄道と子供の歌はもしかすると同じ運命の糸に手繰られているのかもしれませんね。鉄道が車社会に蝕まれたように子供の歌も歌謡曲に飲みこまれて。あとに出てくる写真は近江鉄道の鉄橋か。
ジョスラン 前半のまあこんな難しい歌詞で子供が眠れるわけはないだろうと、私はちなみに小原祥子の作詞のものでなじみが深いです。

ゲストの中松先生も、童謡とともに軍歌に対する熱い思いを。「童謡も軍歌も日本人としてその歴史と生活と共に歩んできた文化なのだから後世に受け継いでいかなくてはならぬもの」まさしくその通りだと思います。軍歌をライブで演奏することは?終戦記念日前後あたりでやれたらと考えています。
55号 阿佐くろしお国道
ホフマンの舟歌 そういえば、オルゴールにもよく使われていましたね。
ぼくらの町は川っぷち これ、結構涙モノです。それこそ、兎追いしかの山のような自然が豊富にある故郷のある人とちがい、私の場合はまさにこの歌にあるような光景を故郷としていましたから。都市と農村とでの立場の違いを互いにわかろうとすることはやはり難しいものがあると思います。大阪に住んでいた小学生の時に映画会があって、「山の子の歌」というそのモノクロ映画にもこの歌は挿入されていました。その西六郷合唱団にいた少年が田舎に転校してきて、東京から来たというとその学校にいたある男の子は、東京に行った父親がケガをして入院したから東京は嫌いだと言ったため、その子のところを訪ねた少年は、おばあさんが子守唄をうたっていたのを耳にして、もちろんそれはその家の子の父親でもある自分の息子にいつも歌ってきかせていた歌だというのがわかったので、西六郷にその歌をテレビジョンでうたわせて東京で入院しているというその子の父親を励ましてやろうという内容でした。東京にしても大阪にしても、転校先の田舎にしても…悪く言われたくはない故郷をみな持っているという思いをこの曲に感じた次第です。
流れゆく川 私が大学の合唱団を卒業してからできた曲だから歌ったことも聴いたこともありませんが、そういえばいろいろな川の上流や出発点を訪ね歩く人もいますね。「水のいのち」「筑後川」「千曲川の水上を恋うる歌」「川よとわに美しく」など、合唱曲に川が多く扱われるのはなぜなのでしょうか。
紅い河の谷 もちろん、「赤い川の谷間」のタイトルで日本放送協会みんなのうたではなじみがありますが。
山のロザリア
春の小川
順番を入れ替えたほうがよかった。最後はやはり日本に帰ってきたかったから。長野県の高野辰之記念館には、中山晋平記念館と同じく4年前の3月31日に訪ねています。長野電鉄の木島線が廃止になった日です。ちなみに、昨年一年間で実は長野県には正月に山口村だけしか訪れていなかったのですが、その山口村は岐阜県の中津川市に合併されてしまったため、それでもいちおう長野県には行っていたといえる年ではありましたが。
56号 宿毛国道
ひなまつり はまず三月三日のなんとやら?まあ、もし私がよっこおねえさんの真似をして心のうた全120曲集など作るとしても、この曲は絶対に入れることはないでしょう。女性の方はもうみんなレパートリーに入れていますが、男性でこの歌を単独でやった人をまず聴きませんね。男はかやの外になるのは仕方ないもので、せめて「あかりを消しましょぼんぼりの/お花もさげましょ若乃花/五人ばやしもかたづけよ/今日は終わったひなまつり/おだいりさまとおひなさま/早くしまってすませなきゃ/およめにいけなくなるってね/そういえば官女はまだ独身」なんて替歌で憂さ晴らすことを小学生の授業でもみんなよくやったり(担任の先生が女性でしかもこの曲を歌のテストにしたものだったから)やっぱりこの歌は好きになれないです。ところがですね、もう十年ほど前には小学生の女の子たちの間で「あかりをつけましょばくだんに〜今日は悲しいひなまつり」なんていうのが流行ったというのにはちょっとまたこれ、おひなさまを購入できない家庭のねたみなのかもしれないし、それこそ昨今はジェンダーフリーとか称してこうした伝統にも否定するいわゆるフェミニストみたいなのがいるらしいと聞き、どうかと思いますね。その後、たしか「タモリの世界は音楽だ」というクイズ番組でこの曲が歌われるとレギュラーの回答者だった森口博子さんがいっしょに口を合わせて歌っていたのを見るとやっぱり女の子だなとほっとしたような?ひなまつりの伝統ともども、この曲はやはり女性の方々には特に大切に歌い継いでほしいと思います。
こぶしの花 すでに購入しているものと同一です。そうか、埼玉県出身の作曲者だったから、西武にかつて夜明けまで寝ていられる登山客用の最終電車こぶし号というのがあったし…山梨と長野県とにまたがる甲武信ヶ岳という山からとっていましたが。
モモタロウ 作詞者も石川県出身ならもっとほかに名作がないか、そうすれば石川を代表する童謡唱歌が出てくるのに。
アカシヤの花 初めて聞きました。よく似たタイトルの西田佐知子さんの歌は知っていますが、どっちがニセアカシアなのか。橋本国彦(「国」の旧字体が打てない)も40歳代で他界しているんですね。著作権が消滅していますが。
57号 あそ国道
老人たち おいおい。いやまあ、その番組は見ていません。当時、小学生低学年で月曜夜の関西テレビジョンだったらたしか「マグマ大使」やってたか。そのあとに映されていたドラマだったんですね。当時、家族に対象になる年齢層がなかったから。ちなみに「昭和ブルース」は私が在学していた大学の教授で愛唱歌だったという先生がいたのですが、一度も聴く機会を得ず他界されました。作曲者が北海出身なら、ユースホステルのミーティングの定番にもなりやすかったですね。
忘れな草 同じタイトルの歌が多いため、なんの曲かと思っていたが結局これか。女声合唱団も出るコンクールではよく聴かれました。私がいちばんなじみのあるそのタイトルの歌といえば「出船」と同じ作詞作曲者の「あきらめましょか、わすらりょか」という、子供の頃は勿論なんの意味もわからずにソノラマのレコードで聴いていた、10年ぐらい前に演奏会で久々耳にしたこともあったし。
一年生になったら 惜しいことに、すでに一年生が終わったちょうどその矢先に発表された曲なんですね。写真のなかに「ひらの」君は…いないようですね。富士山の上で…ものすごい夢でした。
一番星みつけた わらべうたかと思っていたこの曲は作詞作曲者のいた歌だったわけですね。ドレミの3つしかない、だから「ドレミの歌」だって。そういえば、明石市の天文台も未訪問なのが意外。明石大橋もまだ渡ってないから、今度是非訪ねたいです。そのまえに神戸空港新交通新線の潰し乗りにいかねば。今月末には奈良県でけいはんな新線も開通するが。
なつかしき愛の歌 最後の曲、実は私も藤山先生と同じく野上彰のほうでなじみがあります。

ところで、来月からどうするって、タイトルのこと。一級国道が59号から100号まで欠番なので、別の方法を考えないと。
58号 南西国道
さくらさくら 小学校の音楽の授業では4月にまず出てくるから「弥生の空は」がおかしいだろうということになって変えられたのかもしれないとか。弥生という地名も文京区のかつてサトウハチロー記念館のあったところにあるし。駒込とすぐ近くで。高校野球の応援にまで使われるようになったことにまでは言及されていないが。
花かげ 山梨県が舞台であろう「絵日傘」も「春のうた」とともに一昨年のライブで演奏したし。
おはながわらった この歌の存在は知っていたが、意外に聴くのは初めてです。最初、「鼻が笑う」と思っていたけれど。でも、昭和37年だったら自分がその時幼児で見ていたはずだったのに記憶になぜかない。
金太郎 作詞者の故郷、群馬県のその記念館には3年前に行ったことがあり、明日も日光からの帰路を足尾経由の予定にしているので、記念館は今回寄らないが。この歌も箱根のバスガイドまで「足柄山の金太郎」と歌ったりするので、そのたびに違うよと言って毎回バスガイドをからかうためにはとバスなどの観光バスに乗っているのはどこのだれか。
さくら横ちょう いやあ、前回の予告に見えた歌手名で鮫島ユーミンが「絵日傘」や「春のうた」担当かと思っていたら、これだけでした。そういえば、明日は大相撲春場所で高見盛対北桜という注目の取組もあるし。
春のうた この曲はタイトルでかすんでいる。出だしをとって「桜の花咲く頃」とでもすれば「すみれの花咲く頃」「白い花の咲く頃」と並ぶ名曲になったはずなのに、作詞者と作曲者があまり接点がなかったので広められなかったのだろう。なんとなくこの歌も4月より卒業シーズンの3月のほうではという思いを「学校の庭さえ」というところから感じ取ったりしたものであった。ちなみに子供の頃ウチにあったのは伴久美子さんで、あの音源がなつかしい。今回の川田正子さんもいいけどね。ほかに久保木幸子さんのものもある。
今回は外国曲がひとつもなくてたまにはそういうのもいいなと思ったら。同じ調が2曲続くのはちょっと違和感がある。西條八十のそれは、大正時代に水谷まさると一緒に「世界童謡集」というのを編纂していたうちの唯一知られた歌でした。

さて…、次号から題名をどうしようか。
59号 千島国道
めだかの学校 私にとって、この歌は「七つの子」と同じく生涯縁の切れないであろういろいろな憶測をめぐらされる。小学校に入学した時に最初に音楽の授業で習ったのは「ちょうちょ」「チューリップ」その次あたりだと思ったが、強弱の違いを教えられたことが記憶にある。家にあったSPレコードが安西愛子先生だったし。さて、作詞の茶木滋という人も数年前になくなった直前に作品集を出していて、それには本居三姉妹の演奏会に行って自分の詩に本居長世先生が作曲して彼女らが歌ってくれたらという夢があったという。しかし、それは片思いに終わったようで、この歌にはひょっとするとその憧れがこめられているのかもしれないと思うものであります。
雀の学校 まさしく、トッパンの童謡絵本の1曲目、私がうまれていちばん最初に覚えた歌である(?)。まあ、弘田龍太郎の作品集というようなCDが出ないから、だんだん知られなくなりそう。この歌も2番が後からつけられたのをまたやめてしまったという。そういえば、チーチーポンポンチーポンポン、パイをふりふりチーポンポン、もいちど半チャンチーポンポン、おい、童謡に替歌はだめだろうって。私が大学を卒業してから雀をやる学生が急に減ってしまい、その卒業した翌年になじみの雀荘がなくなっちゃって故郷ひとつ失った気分にかられたし。この歌は野球バカの星一徹だって知っている(花形や左門もいるところで伴宙太のトレード話を持ち上げた時、おまえらいつまでチイチイパッパをやっとるつもりか、というセリフがあった…何度も再放送やってたもので)のに。
五十音 母親が歌ってくれたが、なにしろ自己流に歌って正確に歌わなかったもので、今回も初めて原曲を聴いてこういう歌だったかなと思う次第。しかしながら、全部の曲譜を示されたようにすべての言葉に対してアクセントの高低が矛盾しないように作曲されているわけで、そういえば「ん」はなんでないんだという野暮な話はいいだろう。
二宮金次郎 昔からうちにあるものと同一の音源。まあ、こういう歌を好む人はあまりいないでしょう。ちなみに「二宮先生ナンパもじょうず、毎朝弟と縄張り作り、とらえた女は仲良く分ける、手本は二宮金次郎」という替歌は当方の…これは作者不明の唱歌だからよい。実際に女好きでナンパの名手だったそうである。小笠原父島には戦災で首のなくなった銅像もあるし。
算数チャチャチャ 日本放送協会「あなたのメロディー」では、たしか最後に会場でアンコールでもう一度聴きたいという投票がされた時、この歌は当らなかったんだが、たしかに疲れる歌で、しかしメロディーラインは面白くできていると思う。
ドレミの歌 私の選んでいるワーストテンに入っている歌である。そのわりには?であるが。これも、「ドはドウ○イのド、レは○ズの…」という全国区の替歌がある。どうしようもないね。原曲も「ラ」で始まるのが見つからないから「ラはソの次の音符」という歌詞になっているが。ちなみに「ソラの上にはなにがある」というなぞなぞで「シド」という答えは、そんなの日本語にないといったら、香川県には志度という所があるやんか、というわけで。
青葉城恋唄 すでに書いたように、キャンディーズの解散した年にヒットしたこの曲は、その年宮城で起きた三大事件のひとつである。もうひとつが宮城沖地震があって死傷者を多数出したこと、そしてあとひとつが、宮城県営球場のロッテ対阪急で阪急の今井雄太郎投手が完全試合をやっていたことである。まああの頃はよくよく仙台が注目された。大相撲にも青葉城という地元出身の力士が現役でいたが、この頃はもうひとりいた青葉山という力士が強かったし。今年はそういえば仙台空港の新線も開通するからまた行かないと?楽天の試合も見たいね。そういえば、ゆかりの地で宮城県は初めて。滋賀県も54号で加わっていたし、あとまだ一度も出ていない県は…。
60号 樺太国道
靴が鳴る 前回の同じ作詞作曲者の歌に比べればこちらはまだ幕内を確保しているほうか。
一丁目一番地 知らなかった。うちではつけてなかったか。そういえば、モモンガ一番地、満賀野町96番地、アニメの世界では丁目ではない。そうなると、「四丁目の犬」など昔はそういうほうが珍しかったわけで。
調子をそろえてクリニック もちろん日本放送協会みんなのうたでなじんだ。それ以外ではほとんど聞いていない。なんか変やな。
花のメルヘン どこかで聞いた曲に似ていると思ったら、「別れても好きな人」に中間の転調する部分がよく似ている。さて、その曲もヒットした頃よりずっと以前に出ていたというから、どっちが先なのか。それはともかく、お祖父さんが中日の監督をしていた頃にレコーディングされていたというわけですな。小川健太郎投手が八百長疑惑で抜けたために星野仙一投手が穴埋めのチャンスを得たという頃。北野ルミさんゆうたらこの頃森昌子さんの元夫やヒッキーのおふくろさんなど演歌全盛のなかにあったうちではないか、あまり知る人もいなくなったが(言い方が回りくどい?)。
お使いは自転車に乗って はあ、いつかドラマの登場人物にもなった金子みすずさんの弟だったとは。青島広志が合唱曲に編曲しているし。
最後の、野田暉行は女声合唱が多く、したがって合唱団に私がいた頃でもこの人の曲は歌ったことはない。こういう社会的背景の強い曲を自分のいたところではまず取り扱ったりすることもなかったし。
ところで、60号になったところで。
北海…2  青森…1  岩手…1  宮城…1  秋田…1
山形…1  福島…0  茨城…1  栃木…0  群馬…2
埼玉…2  千葉…0  東京…8  神奈川…2 新潟…0
富山…1  石川…0  福井…0  山梨…1  長野…4
岐阜…0  静岡…3  愛知…0  三重…1  滋賀…1
京都…2  大阪…1  兵庫…4  奈良…1  和歌山…0
鳥取…1  島根…2  岡山…2  広島…3  山口…1
徳島…0  香川…2  愛媛…1  高知…2  福岡…1
佐賀…0  長崎…1  熊本…1  大分…2  宮崎…0
鹿児島…0 沖縄…0
というわけで、まだ14県が未出場。最近初めて出た滋賀県は高校野球の1勝目がいちばん遅かったけれど、果たしてこちらでビリになるのは?
なお次号、黄金連休で旅行予定もあるため、発売日より大きく遅れるかもしれないので。
61号 竹島国道
籠の鳥 たしか中村メイコさんで5番までだったと思う。もちろん、私にとってはどういう意味なのかほとんどわからなかったようなもので。それにしても、唱歌も3曲あるわけだし、ある意味妙な組み合わせのソノラマではあった。盤が弱くて溝が切れ、聞けなくなってしまったりした。
別れし宵 自宅で所蔵しているものと勿論同一。童謡に携わる以前の発表だったこの曲を作った頃は、本居長世も中山晋平も、また山田耕筰もベートーベンなどのようにオペラや交響曲などたくさん作ろうという夢がむしろあって、童謡など思いもよらなかった頃かもしれない。けれども、風土の違いでとてもそういう真似は誰もできなかったわけで、そのかわり多くの名曲を得ることができたのは周知の事実。
幸せなら手をたたこう これまた野球場で応援に使う曲だと思う人が多くなりそうだ。
きっとしあわせ さすがに日本放送協会のその番組を見られる時間帯は勤務中だから知らなかった歌で、しゅうさえこさんもなじみが実はあまりない人だが、自分と一年違いで機会あったらちょっと手を交えてみたいね。
すでに購入してあるものと同一。最近、小松耕輔の曲譜集も発見したのでもっと取り上げてみたい。
みつばちぶんぶん 購入していた楽譜で知ってはいたが、CDで聴くのは初めて。歌詞とのすりあいで私は7小節目の「ドミレド」を「ドミミド」に変えたくて仕方ないのだが、作者不明のわらべうたでもないのだから勝手にできるわけでもないので、そのようなちょっとした違いで名曲になれなかったという惜しい歌も多そうだ。
62号 尖閣国道
からたちの花 独唱曲のほうで入れてもらいたかたった。他人の編曲はやはり原作の持ち味を殺しがちである。
あした ひなまつりなどの曲とともに、私のレパートリーに入れられない、女の子女の子した歌。聞く分にはいいけれど。そうですね、童謡を歌うのは女の子だけど、作詞作曲者は従来ずっと男性だった。ここらへんは役割が明確に分けられていたのかどうか。清水かつらは「少女号」でレギュラーだったし、女性のような名前だと思ったけど男性である。「わたし、歌う人」「ぼく、作る人」いまは勿論違うが。
牧場の朝 この作曲者も実は芸大で本居長世の指導を受けていた人だった。それにしても、東北本線の鏡石、青春18きっぷなど普通列車でここを通ると、下りでも上りでは先はまだ長いなあと思わせられる、いずれも気の遠くなるところである。
ぶらんこ 幼時にあったトッパンの童謡絵本ではレコードがなかったが、最近、太田裕美さんのCDで実は吹きこまれていたものを実際に初めて聴いた。作詞者の都築益世という人もけっこう長い時代に童謡を作っていてあとは「赤ちゃんのお耳」ぐらいでヒットがほとんどない、大阪人で慶応OBか、もっと情報のほしい人である。
花いっぱいの歌 その学年を卒業してから出てきたから、聴いたことはない、作詞者も知らないし。
すばらしき自然と共に 近畿日本ツーリストのCMソング…でもないけれど、「はしれはしれモノレール」とともに作曲者はCDを聴かずに行ってしまった。それにしても、最後まで作曲意欲の衰えなかった方であらためて敬服させられる。
すみれの花咲く頃 なぜか、私はかつて阪急沿線住民のもろ地元だったはずなのに、宝塚歌劇へは一度も足を運んでいないのも、まあ大阪に住み続けて彼女を作っていたら?なに、後者の可能性がないって?
63号 台湾国道
雨の慕情 1244頁のタイトルでは西條八十が作詞していたのかと思ってしまいますな。なに?グループサウンズのある曲名も。山野さんも、こんな感じだといいなあと思ってしまう。
気のいいあひる まあ、がちょうの場合にしてもこうろくでもない歌詞を日本人はなぜ作りたがるか。この曲は、ボヘミア−ンだったか。
ちゃっきり節」 民謡も本当はもっと出したいだろうが。ちなみにこの歌は勿論、ねえちゃん、お茶しないというナンパの歌である。どこの茶摘唄、宇治だってマサヤ…ではなくて狭山だってそうなっているだろうが、「背くらべ」「赤い靴」「羽衣」(ないよ)とともにしずてつジャストラインの一日フリーきっぷでこれらの記念碑を巡ることができるし。ちなみに先日私が使っていたのは静岡駅周辺で均一区間のみ乗り放題の一日バス乗車券のほうであった。
早起き時計 その静岡県に住んでいた人の作詞「早起き時計」この曲も久しく聴いていたことがなかったような。また、例のトッパン童謡絵本ネタだが、この曲がその7号にあって昔のレコードも最初7回時計が鳴っていたというので、7時に起きれば早起きなのだと思ったりしていた。今回は?
くちなし ああ、作詞者の追悼になってしまいましたね。自ら野球もされていたという作曲者も中日ファンだったってわけか?ん?オイ(最後へ…いじめやないで)。
野に咲く花のように DCさんが持ち歌出してきましたね(どこかの野球選手みたいな略し方だな?)。